相生古こぼれ話

相生古こぼれ話 地名の謂われや建造物、人物などの相生市内の歴史をお伝えする番組です
さて、今月はどのようなお話でしょうか

MC:    担当D:サッキ
配信日:毎月1回
  • 相生古こぼれ話 第113回トリガイの話 2024年4月17日

    相生古こぼれ話 第113回トリガイの話
    この番組は、地名の謂われや建造物、人物などの相生市内の歴史をお伝えする番組です。
    さて、今月はどのようなお話でしょうか

    ではお聞きください

     

    大正の頃、冬場の相生湾ではトリガイが湧き出るようにふんだんに採れた時期があった。

    特別な貝曳網(かいびきあみ)を取り付けた漁船が暗いうちから湾内に漕ぎ出されていた。

    もちろん我々子供はそういう光景を見ることはなかったが、

    漁獲物が水揚げされる様子はしばしば目にしたものだった。

    水揚げされる大量のトリガイを処理するため、

    この町に缶詰工場が進出してくることになり、

    その臨時出張所が南所の波止場あたり、城山(じょやま)下の空き地に開設された。

    そこでは、近所の女性たちが臨時に雇われて、

    貝殻を捥(も)いで肉身を取り出す作業に携わっていた。

    この肉身は背開きにされ、内臓を取り除いた後湯引きされて

    筵(むしろ)の上で日干ししてから叺(かます)に詰めていた。

    貝の身を取り出すとき、貝柱は貝殻に付着したままになっていたが、

    缶詰会社は貝肉よりもこの貝柱の採集の方が目的であったようだった。

    貝柱を缶詰にしていたのである。

    貝殻についている貝柱をもぎ取る作業はなかなか煩わしく、

    手数のかかるものだったので、私達のような子供にまで協力が求められてきた。

    朝早めに家を出て、学校が始まるまでの時間にこの作業を手伝うことにしていた。

    微(かす)かな記憶をたどってみると、こうした手伝いをしていることが

    家の者に知れるとこっぴどく叱られるので、

    何らかの理由を付けて出かけていたことを思い出す。

    小遣い銭にありつけることが何よりの魅力であった。

    確か、一叺(ひとかます)分の貝殻から貝柱を剥ぐと、二十銭だったと思う。

    「無駄遣いしたらあかへんでぇ、また来てくれや」と言って手渡ししてくれたものであった。

     

     

    今回は江見錬太郎著「ふるさと想い出の記」より引用しました。

    相生いにしえこぼれ話、小河大助 がお届けいたしました。

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