相生古こぼれ話 第88回 「おおの古屋号」

 今はすたれつつある「屋号」。屋号から職業がうかがえます。

「魚屋(ととや)○○」「小判屋○○」「干鰯屋(ほしかや)○○」その名前が今もなお神社の玉垣に残っています。その玉垣を見ながらどんな商売だったんだろうと想像するのも面白いかですね。今回はいろいろな屋号が出てきます。聞いてください。(写真は天満神社のもの)

~sakki談~

 sakkiの親戚にも「油屋」という屋号の親戚がいます。油を売ってたのかなあ~。もう聞くこともできませんが。

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おおの人が通称「ダイジコサン」と呼んでる川原町の三大将軍神社は海老 名四代頼保(よりはる)が主君の源頼義・義家・頼朝を 730 年前、文永 5 年(1268)5 月 5 日に奉祀した古いお宮である。

時が流れ天保 11 年(1840)8 月吉祥日に社が再建されたが、その時の棟 札(むなふだ)に世話人として屋号と共に名前が記されている。 魚屋(ととや)善七・大黒屋佐一郎・小判屋座七・灰屋嘉助・干鰯屋(ほ しかや)儀平衛(ぎへえ)・今市屋徳七・相野屋(あいのや?)文吉・小原 屋仁兵衛・大角屋(おおすみや)吉五郎・唐土屋(もろこしや)宗太郎・ 鳥羽屋藤七・唐土屋五治兵衛。 干鰯屋(ほしかや)とは鰯の乾燥肥料で農家相手の商いの店であり、魚 屋(ととや)はその名のごとく魚店か網元の屋号であろう。出買屋とは 沖で魚を獲っている漁船まで出向き沖で買い取る仕事を出買といい、現在 でも「出買屋のたっちゃん」と呼ぶことがある。

灰屋とは昔、染色・陶芸・ 刀鍛冶には灰は必要欠くことのできないものであったので、灰を商う職業 があったのであろう。鍛冶屋・アゲソウケ屋・元屋・川崎屋・鍋屋・志摩 屋。面白い屋号に小判屋があるがいかなる商売であったのか、年貢や通貨 や藩札に両替していたか、あるいは小判そのものの両替屋であったかもし れない。

相生の春夏秋冬、村人の暮らしに想いをはせ、玉垣の埃を払い撫でなが ら、糀屋・美濃屋・戸根屋・一軒家・綿屋・正直屋と文字を拾い歩けば、 おおを離れ他国で名を遂げた人たちが居住の地名とともに故郷の繁栄を 願って奉納している。 これらの屋号は石に彫られたものが多いが、永遠のつもりで刻まれた石も 幾年月の風雪には耐えられず歳月は人の営みも様変わりすれば商いその ものも変化し、屋号も現代人には縁遠く、過去の遺物のような昔話のひと こまとなってしまった。

ちなみに今も呼称されている屋号は、干鰯屋(ほしかや)・萬屋(よろず や)・徳久屋(とくや)・桶屋・出買屋・元屋・ねた屋・浪速 屋・碇屋・増屋(まっしゃ)・ハマ屋・玉の屋・まけん堂・蛭子屋(えべっ しゃ)・角屋(かどや)等々がある。

今回は棚橋純子著「ふるさと相生つれづれ草」より引用しました。

(相生らじお「古こぼれ話」は見えるらじおを目指しています)

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