相生古こぼれ話 第96回「盆踊り」

 夏の風物詩である盆踊り。盆踊りが終わると秋の気配が感じられるようになります。最近は盆踊りは見られなくなりましたね。お聞きください。大正の頃の光景です。

~Sakki談~

 よく考えると残念ながらsakkiは「盆踊り」の記憶がありません。うちわを持って浴衣を着て夕涼みに行くなんてなんて素敵なことでしょう。ワクワクしますね。

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第95回 古こぼれ話「盆踊り」

大正の頃、私が住んでいた南町(みなみじょ)では、お盆の墓参りの頃になるとそれは盆踊りの始まりであった。

 南町にある荒神さんの森に夕闇が訪れかかるようになると、太鼓代わりにした四斗樽を叩く固い音が樹木を抜けて木魂して聞こえ出す。それに惹きつけられてか、うちわを手に持ったり、浴衣がけの襟首に差し込んだりした連中が、境内への参道をゾロゾロと上がってきたものであった。

 境内の中央には、近く行われる奉納相撲を待つ土俵があって、そこに四斗樽がデーンと置かれ、ねじり鉢巻きも勇ましい若衆が威勢よく撥振り(ばちふり)に汗している。その傍らでのど自慢の男衆が、足元に寄り付いて来る藪蚊を手にしたうちわで払いながら、土俵を中心にして踊り始めた人々や見物人に声を張り上げていた。

    来たわいなぁ 来たわいなぁ 太鼓頼りに来たわいなぁ

とやる。踊りの者がそれに応えて

    アア ヨイトサノマカセ ドッコイセ

と合いの手の囃子で歌う。そして、手にしたうちわが白く動き、手足がシナを作ってゆく。

 初めのうちこそ「来るには来たけれど」という訳で、踊りの中に入る機会を伺っていたような見物衆も、輪が広がりを見せ始めると次々とその中の一人となって、踊りの輪を大きくしていった。

 踊りの所作は極く単純なもので、単に左右の手足を交互に出したり、右手を挙げてターンをしたりといった古い形が原型となっており、踊り子たちはそれぞれに多少のアレンジを加えていったようだ。青年たちの中には、見物衆に目立つために、女性から借りた着物で女装して得意がって踊る者もいたものである。

 この町での盆踊りは、この荒神さんの森だけでなく、北町(きたじょ)でも上町(かみじょ)でもやっていたので、それぞれの踊りの場から樽太鼓の音が聞こえてきたし、そこの踊り子たちが踊りの輪に入ってくることもあった。

 盆踊りが終わり、地蔵盆を迎えるころ、夜には虫の音がはっきりと聞こえるようになり、秋を身近に感じるようになる。早稲を神に供え、台風除けを祈願した旧暦の八朔(はっさく)の日、昔の人はこの頃から昼寝をやめて夜なべ仕事に取り掛かることにしたと物の書にあるが、盆踊りの樽太鼓の響きは、こうした季節の変化を知らせるための音だったのかもしれない。

今回は江見錬太郎著「ふるさと想い出の記」より引用しました。

(相生らじお「古こぼれ話」は見えるらじおを目指しています)

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