相生古こぼれ話 第95回「雨の日の桟橋」

 第93回「弁当屋の話」では造船所で働く人のお弁当の話でした。第95回「雨の日の桟橋」では雨の日のお迎えの話です。天気予報がなかった時代、急な雨には家族が傘を持って桟橋までお父さんを迎えに行っていたそうです。なんか心にしみますね。お聞きください。

大正7年(1918年)頃 播磨乗船所渡船(相生映像アーカイブより)

~Sakki談~

相生湾は奥深く入り込んでいるため、皆勤橋が出来るまで対岸の住宅地に行き来する人は渡り船を使っていました。沈んでしまいそうですね。

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第95回 相生古こぼれ話「雨の日の桟橋」

 天気予報といったものがなかった大正の終わりごろは、日和(ひより)に雨具を用意して出かけるなどということは、よほど用心深い者でもない限り敬遠するのがふつうであった。

 それで、でかけるときの好天に幻惑されたドック行きの職工さんたちにとって、雨が降ってくるなどということは思慮の対象外のことであった。

 そんな場合に限って、お天気というものは意地悪になるもので、昼過ぎから降り出した雨がちょうど退け時になると本降りに変わることがしばしばあったものであるが、こんな時には水月旅館前の桟橋は出迎えの雨傘でいっぱいになったものである。

 鈴なりのようになったドック帰りの職工さんたちを乗せた舟が、水面ぎりぎりまで沈めた船脚(ふなあし)にずっしりした重みを見せながら、雨の中を水月旅館前の桟橋に近づいて来る。その様子は、まるで小さな島が動いているようであった。

 やがて、動く小島に見えた舟が「ズシン!」と鈍い音をたてて桟橋に横付けされると、桟橋の袂(たもと)や道路に沿った石畳の護岸の上に出迎えに来ている傘が一斉に揺れを見せ、ざわめきが起きる。雨具を持たずに出かけた者たちに、家族の誰かが出迎える雨の日の光景であった。

 舟が着岸すると、桟橋に待ち受けていた船頭が、舟から投げられたもやい綱を受け取って素早くボラートに掛け、船内にいる船頭がその綱を縛る。

 そうした作業をもどかしく思ったのか、職工さんたちは我先に桟橋に飛び移り、船頭はそれを制止しようとしてひと時は喧噪(けんそう)そのものであった。その喧騒に煽られるように出迎えの傘が動いてゆくのであった。そして、揺れ動く傘の中に船から上がった人々が吸い込まれてゆくのである。

 若夫婦らしいカップルが傘を傾け合っているのを見ると、ほほえましい気持ちになったものであるし、母親の言いつけで来たのか、父親を待つ子供の姿も見受けられたものだ。こうしたことからでも、相生の人々は、家族が気持ちを寄せ合う喜びをひそやかにそだてていたように思える。

今回は江見錬太郎著「ふるさと想い出の記」より引用しました。

(相生らじお「古こぼれ話」は見えるらじおを目指しています)

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