さて、今月はどのようなお話でしょうか
MC: 担当D:サッキ
配信日:毎月1回
- 相生古こぼれ話 第116回「相生(おお)の松」 2024年10月16日
相生古こぼれ話 第116回「相生(おお)の松」
この番組は、地名の謂われや建造物、人物などの相生市内の歴史をお伝えする番組です。
さて、今月はどのようなお話でしょうかではお聞きください
相生いにしえこぼれ話 第116回 「相生(おお)の松」
「相生(おお)の松」を二つ紹介したい。
一つ目は、今では既にその姿を見ることはできないが、
「地蔵さんの松」と呼ばれた松の木である。
それは、大谷橋を渡ったところの山手側の切り立った断崖に
たくましく太い根を張らした老木であった。
崩れ落ちるかに見える崖上(がけうえ)の岩の割れ目に根を張り、
まるで岩盤が崩れ落ちるのを支えるように見えた。
その枝ぶりが、崖下にある地蔵さんの祠を覆う傘のように見えたので、
「地蔵さんの松」と呼んで親しみを寄せていたのであった。
かつて、渡来してきた鶴がこの松のてっぺんの大きな枝に巣を作り、
ヒナを育てている親鶴をよく見かけたものだったと、町の古老の話を聞いたことがあった。
子供心に高い松の木の枝を見上げては、さすがに鶴が巣ごもりするだけあって
立派な松の木だと誇らしく思ったものだった。
しかし、相生の町に鶴が渡来していたかどうか、その真実は知る由もなかったし、
学校で先生から教えられた記憶もない。もう一つは、「地蔵さんの松」とは港を挟んで相対する(あいたいする)ように、
南の城山(じょやま)の麓にある稲荷さんの祠の横、ちょうど竜山公園の登山口に当たる辺りに、
「大石手植えの松」と呼ばれていた赤松の大樹である。
果たして本当に忠臣蔵の大石内蔵助が手植えしたものかどうか、
真偽のほどは明らかではないのだが、当時、子供だった私はそう信じていた。
実際、内蔵助の別邸が海岸沿いにあって、
その屋敷から移植したものであると物知り顔に言う人もあった。相生音頭の中に、
『城山(じょやま)大石さあ、城山大石手植えの松は
昔なつかし 深みどり ソレ』
と歌詞に取り入れられている。
鶴にまつわる「地蔵さんの松」も、相生音頭にうたわれた「大石手植えの松」も、
いつの間にやら相次いで姿を消してしまった。
在りし日の姿を思い浮かべると何とも寂しい気がしてならない。今回は江見錬太郎著「ふるさと想い出の記」より引用しました。
続きを読む →