さて、今月はどのようなお話でしょうか
MC: 担当D:サッキ
配信日:毎月1回
- 相生古こぼれ話 第86回「角力(すもう)の町」 2021年8月30日
相生でも相撲は盛んだったのですね。地域の人々のつながりの上に楽しみがある。なんかうらやましいような。。。大人から子供までさぞかし盛り上がったでしょうね。
今回はその時の様子をお聞きください。
~Sakki談~
相生(おお)の南荒神社神社には屋根付きの土俵場があります。初代の物は1940年に紀元2600年を記念して建築しました。これが老朽化したため、有志により2004年に改築されました。夏祭りには今でも相撲つづけられており、「こども転がし」も行われています。
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第86回相生古こぼれ話 「角力の町」
その昔、夏と言えば水泳と角力(すもう)の季節であった。ことに角力となると相生(おお)の南町はまさに独断場であり、自他ともに認めるところであった。
この町に鎮座する荒神さんでは、毎年8月21日の昼宮には恒例の奉納相撲が行われ、近在から素人力士が参加して熱戦を展開した。境内を埋める観衆はその取り組みの一番一番に沸き、固唾を飲んで手に汗したものだった。
この奉納相撲では、豆力士が出番となる前角力があったので、祭りが近づいてくると、南町ではちょっとした空き地で子供たちが角力をしているのをよく見かけた。地面に円を描いただけの土俵に、締めていた帯をまわし代わりにして子供たちが上がると、居合わせた大人が行司役をつとめ、子供たちの熱戦を応援した。
青年団では、奉納相撲に選ばれた力士たちがその日に備えて稽古に汗する頃は、ちょうどお盆の墓参りの時期とあって、墓参帰りの人々は、よく荒神さんの境内に足を向けた。そうした人々が見守る稽古というものは力士たちに一層の励みを起こさせ、喚声が森に響いたと言う。
その頃、大相撲は江戸相撲と大阪相撲に分かれていて、この町からも大阪相撲力士が出ており、関脇にまで昇進した相生松五郎関、十両に名を連ねた時舟関、押田川関がいた。それらの関取衆が帰郷してくることもあって、その姿に子供たちはある種のあこがれに酔わされたものである。
今回は、江見連太郎著 「ふるさと想い出の記」より引用いたしました。
(相生らじお「古こぼれ話」は見えるらじおを目指しています)
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