さて、今月はどのようなお話でしょうか
MC: 担当D:サッキ
配信日:毎月1回
- 相生古こぼれ話 第112回「なまこや」 2024年3月15日
相生古こぼれ話
地名の謂われや建造物、人物などの相生市内の歴史をお伝えする番組です。
さて、今月はどのようなお話でしょうかではお聞きください
相生いにしえこぼれ話 第112回 「なまこや」
相生の港から野瀬への海岸道を行くと、城山(じょやま)の登山口を回ったところ、そこは網ノ浦である。
ここには、造船所のドックに入渠(にゅうきょ)する船の船員を宿泊させる施設として、網ノ浦船員クラブがあった。
板塀の木造二階建てで、洋風の建物であった。
かつてこの船員クラブの手前に「なまこや」と呼ばれている家があった。
冬場の湾内では、早朝から「なまこ漕ぎ」の舟が出漁し賑わいをみせたもので、
当時の風物となっていた。
それらの「なまこ漕ぎ舟」は、獲ったなまこを魚市場に持ち込まず、たいていはこの「なまこや」で買い上げてもらっていた。
「なまこや」は、岸壁につけた持ち舟の上でなまこの加工を行っており、収穫されたなまこはその場でコノワタが採取され、塩漬けにされた。
その塩加減がコノワタの味を引き立てると言われていたもので、「なまこや」独特の手法によると評判だった。
たいへん高価なもので、都会の高級料亭に直送していたと記憶している。
コノワタを採取した後のなまこは、大きな釜で茹で上げられ、道端に敷かれた筵(むしろ)の上に広げて置かれ、小指大の大きさになるまで乾燥されられた。
このカチカチの固さになったなまこを「イリコ」と呼んでいた。
「イリコ」は叺(かます)に詰められて、大陸方面に輸出された。
中華料理に欠くことができないものとして珍重されていたのである。
なまこが相生の海から姿を消してしまって久しい。
当時のような風物にはもうお目にかかれなくなってしまった。
季節を選ばぬ乱獲によるものか、護岸工事によって生息する場所を失ったのか、生活汚水による海水の汚濁が繁殖を妨げることになったのか、知る由(よし)もない。今回は江見錬太郎著「ふるさと想い出の記」より引用しました。
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相生いにしえこぼれ話、小河大助 がお届けいたしました。