両方が同じように立ち並ぶ路地の事をおおでは「フタダイゴ」、那波では「タンタン」と言ったそうです。
相生で生まれ育ったsakkiは「フタダイゴ」も「タンタン」も聞いたこともありません。
きっと今の人は使わないのでしょうね。。
そうやって言葉が消えていくのが寂しいような、仕方がないような。
【松竹湯の前で遊ぶ子供 相生映像アーカイブ提供】
~Sakki談~
sakkiも子供の頃こういう場所であそんだものです。
小石5個で遊ぶ「いんなんご」を友達と夢中でしたのを思い出しました。
「いんなんご」を知ってる人コメントお願いします!
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相生いにしえこぼれ話 第67回「おおの小路(こみち)フタダイゴ」
「海を見て暮らしたいと思うようになり、昔の古巣に舞い戻りました。港のフタダイゴは変わっておりません。」故H市長のご家族が相生へ転居のあいさつの一部です。
フタダイゴとは両方が同じように立ち並ぶ家の路地のことをいい、奥の家まで続く小路で、袋小路(ふくろこうじ)も、通り抜けの小路もフタダイゴです。
フタダイゴは「おお」独特の言葉のようで、相生でも、那波の人は「タンタン」と呼ぶそうです。
昭和の初期の頃、那波八幡宮の祭礼(さいれい)の際、船が那波港につくと、浜から家と家との間の狭い路地を通り抜け、大通りに出るとすぐ参道になります。まさしくこの狭い路地は「おお」では「フタダイゴ」ですが、那波の人は「タンタン」というそうです。
この小路も今は広くなり赤穂浜街道から参道までの間は昔の面影など全くなくなってしまいましたが、ここを通りながら「ああ那波のお祭りに来たんだ」と実感がわいたものです。
カンカン照りの夏の暑い日の午後、涼風(すずかぜ)が風鈴の音色とともに通り抜けるフタダイゴ。ござを敷いて「いいちこ」や「ままごと遊び」をする子供たち。ござを踏まないよう言葉を交わしながら下駄ばきの大人たちが通る夏のフタダイゴ。木枯らしがカタカタと戸を叩きながら駆け抜ける冬のフタダイゴ。しらないフタダイゴをワクワクしながらに歩いたり、下校時に道草しながらあちらのフタダイゴからこちらのフタダイゴを通り抜け先回りし、帰る友の前に「バア~」といって飛びだし驚かせる、こども天国のフタダイゴ。
今はこういう小路も少なくなりフタダイゴという言葉も言わなくなってきました。
どこかの町で「フタダイゴ」という呼び名で路地が現存していると風の便りでも聞かれたら教えてください
【相生古こぼれ話は「見えるらじお」を目指します】