双葉小学校の横にある長池にはこんなお話があったのですね。
今回は鯉の化身の美しい青年が出てきます。お聞きください。
~sakki談~
長池は以前(私が子供の頃は)は大きな池でした。宅地開発のため半分になってしまいました。
鱗塚の石碑は池の修理費を捻出するため、この池の魚をとって売り、そのお金で池の修理を行ったもので、住民が魚の供養のためこの塚を建立したものだそうです。
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相生古こぼれ話第80回「鱗塚秘話」
1688年元禄元年ころ、相生には六つの池があった。長池・切り池・めおと池・蓮池・きたんだの池・すまだの池である。この中の一番大きな池は古池の高台にある長池で、3丁歩とあるから3000坪の広さである。池の淵から流れ落ちる水は肥沃な田畑を潤し、季節の移り変わりと共に人々の生活や、変化する木々の影を湖面に映していた。そして、人の心はいうに及ばず鯉や鮒やかめんこなどの生き物もはぐくんでいった。1813年文化10年、この池の土を使って橘屋三衛門が窯を築き、古池焼きを始めてから鯉の影が湖面に映し出されるようになった。
いつの頃よりか夕月が淡く地面に影をおとす頃になれば、前髪の目もと涼しい落とし差しの美少年が何処よりか現れ、何処ともしれず去る姿に出会ったという話が伝わり出した。出会おうと試みる人は誰も出会った者はなく、夕月を仰ぎ仕事に精出した岐路に、何とも言えない気品のある端麗な容姿に偶然出会い、騒然とした。一日の疲れも一緒に持ち去ってくれると出会ったものが言い出したために、村人は以前より朝霧を踏み,夕星を仰ぎ、農事に張り合いを持つようになった。美少年が思わぬ幸を運んでくれた。
村の共同作業も和やかに心豊かになり、争いもなくなってきた頃、何処で聞いてきたか、だれ言うとなく、長池の主である金の鯉が不思議な力を持つものとして、陸地に上がって美少年と化すのだという話で村は持ちきりになった。
おお村に行った源さんが海老名様に聞いてきた話では「鯛は海の魚の王というのに対し、鯉は川の魚の長(おさ)と言われている。清の国では鯉を珍重したことが古書に残っている。寿命は15年くらいとされているが、百年以上いきるものもいる」と話した。
ある朝、夜からの深い霧がようやく晴れ、池の面が現れてくると、驚いたことに池一面に血でおおわれている。村人が何事かと池を巡ると、まるで水草に抱かれているかのように見事な金の鯉が美しい姿を見せていた。まるで、美少年が静かに横たわっているようであった。霧の晴れた朝の光に金銀の鱗の輝き目にした人は、その気高さに思わず手を合わせた。それからはその美少年に会うことはなかったという。
(相生らじお「古こぼれ話」は見えるらじおを目指しています)