相生古こぼれ話第83回「豆煎荒神の阿亀笹(おかめざさ)」

これまでにいにしえこぼれ話で何回も登場してきた「豆煎荒神」、大石良夫ゆかりの神社でした。神社の下の道は赤穂街道と言われ、赤穂から参勤交代で江戸に向かう道だったようです。

赤穂藩の城主浅野長矩が江戸に向かう途中 領民の幸せを願ってこの神社に笹を植えました。どうぞお聞きください。

おかめざさ

~sakki談~

平成4年に発行された「相生ふるさと散歩」には『浅野内匠頭が江戸下がりに記念奉納のため手植えした笹が残っている』と書かれていたので、まだ生えているかどうかワクワクしながら確かめに行ってきました。残念ながら「阿亀笹」は見つかりませんでした。

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相生いにしえこぼれ話第83回「豆煎荒神の阿亀笹(おかめざさ)」

元禄7年、備中松山城主に世継ぎがなかったため遂にお家は断絶となり、城受け取りの大役が江戸幕府から浅野長矩(あさのながのり)へ下りました。しかし、折悪しく病の床に伏していたので大石良雄を名代として備中松山城へ行かせました。大石良雄は主人にかわり大役をはたしました。赤穂へ帰ってくると長矩は大変喜び、褒美として二百石の加増をし、名刀三条小鍛冶(さんじょうこかじ)の脇差しを与え、その労をねぎらいました。

 やがて病もよくなり遅れていた参勤交代のため、旅立ちました。行列が高取峠を越え佐方の村へさしかかると、お供の露払いが「下にぃ下に。下にぃ下に。」と毛槍を振りふり道行く人、土下座の人に触れていきます。殿様の乗った籠(かご)はゆらゆらと揺れながら、海辺の磯道を那波の村へ向かいます。籠の中の殿様も気持ちがよくなり、ついうつらうつらとしてしました。少し籠が大きく揺れたので目を醒ますと、いつのまにか佐方を通り越し那波八幡様の前ではありませんか。殿様はあわてて籠を降りると八幡様に旅の安全をお祈りした後、日頃傍に仕えている家来の神崎与五郎・武林唯七(たけばやしただしち)の両人を呼び、に用意していた「阿亀笹(おかめざさ)」を渡し「これ、与五郎と唯七、この阿亀笹は笹のように小さいが笹ではなく竹である。吾が藩は5万3千石と大きくないが、この竹はどんなに雪が降って苦しくても折れないようじっと我慢している。皆の者もこの阿亀笹のように明るくしっかりと留守を頼むぞ。それ故に余が厚く信仰している荒神山の国光稲荷へ行き、この竹を植え、道中の無事と江戸の天下泰平と、領民の幸せを祈ってくるように」と自ら手渡し、丁寧にお参りして再び旅立ちました。

 しかし、縁起が良い阿亀笹を奉納したにも関わらず、それから数年後、松之廊下の刃傷事件が起きてしまいました。荒神下の道を危急を知らせるためにかけ抜けたはや籠を阿亀笹はどんな思いで眺めていたことでしょう。その時植えた阿亀笹は現在増え大群落となっています。

(相生らじお「古こぼれ話」は見えるらじおを目指しています)

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