相生古こぼれ話 第100回「ボーダラ」

年末になると大人たちが子供たちのために作った藁のおもちゃ。どんなおもちゃだったのでしょうね。お聞きください。

~Sakki談~

相生に長年住んでいるsakkiですが藁でつくったおもちゃの「ぼうだら」は知りません。魚の鱈を干した「棒鱈」は知っています。棒鱈料理は関西では正月のおせちに定番です。

そういえば形が棒鱈に似てるかもしれませんね。

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相生古こぼれ話 第100回 「ボーダラ」

 正月がやってくる足音が身近に感じられるようになると、大人たちは松飾りの支度で気ぜわしくなるのだが、そのついでに、子供たちのために「ボーダラ」を作ってやっているのをそこここでよく見かけたものだった。

 「ボーダラ」と言っても、今の子供たちにはわからないだろうが、大正の頃の子供たちにとっては正月には欠かせない遊び道具の一つだったのである。

 オオの南町(みなみじょ)の子供たちは「ボーダラ」と呼んでいたが、北町(きたじょ)では「ヤッケンボー」と言っていたそうで、日本中いろいろな呼び名があるのかもしれない。

 どんなものであったかというと、稲藁を二、三藁束ねて木槌で打ち鞣し(なめし)、それを藁縄でぐるぐる巻きにして固い棒状に締め上げて作られる。丁度、鬼の鉄棒そっくりの形のもので、握るところには丸い輪が付けられていた。

 「ボーダラ」を作る材料には新藁がよいとあって、いいものを作ってもらうために、子供たちは、馬坂の坂や野瀬坂辺りの田んぼ、それに人里離れた田んぼに出かけて、藁倉から失敬してくることもあったが、たいていの家では農家から一束一銭で分けてもらうのが普通だった。

 正月になると、絣の着物を着た子供たちが競い合うように、

    出ええんぞ 出ええんぞ

    餅に性根とられて

    裏へも門(かど)へも よう出んぞ

と口々に囃し立てながらボーダラで路面を叩き、パターンパターンと出る音を響かせて、正月の声を流し歩いた。

 時には、突然のように雨戸が開いて、「糞やかましい、そこな餓鬼ども」と怒られることもあったが、「ションガツやでぇ」とやりかえしながら、一層激しくボーダラを叩きつけながら逃げて行ったものだった。

 こうした他愛もないことをやるのも、精々三年生くらいまでのことであった。当時、歳末にボーダラを作ってもらうことは、子供たちには正月を呼び寄せてくれるものとして、心が弾む思いだったのである。

相生古こぼれ話は見えるらじおを目指しています

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