相生古こぼれ話第85回「安吉さんとなごりの松」

忠臣蔵で有名な赤穂藩浅野家の菩提寺である花岳寺。 境内には立派な松があります。その松は相生のおおから運ばれて来たといいます。あの高取峠を松の苗をのせてどうやって運んだのか。。。

お聞きください。

~Sakki談~

花岳寺の門から中庭の松の木が見えます。あまりにも立派なので驚きました。昭和3年に運ばれてきたのでもう樹齢100年以上はあるのでしょうか。相生人としては少し誇らしくなります。

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相生いにしえこぼれ話第85回「安吉さんとなごりの松」

浅野家の菩提寺台雲山花岳寺(たいうんざんかがくじ)の門を入ると広庭に見事な枝ぶりの松が見られます。

 通称「大石のなごりの松」と呼ばれていますが、この松は2代目の松です。初代の松は元禄4年(1691年)3月14日に大石内蔵助の母が亡くなられ、松を愛好した母君の冥福を祈り、所領おお村の裏山から二本の松((おん)(まつ)(めん)(まつ))をここに移植したと伝えられています。

 内蔵助は主家の浅野家の断絶により、赤穂を退く時、母の墓前に詣で、この松の下でなごりを惜しみ出立しました。そのため人はこの松を「大石手植えの松」又は「大石なごりの松」と呼びました。

 文政10年(1827)に、浪速の歌人長田鶴夫がかいたこの松の碑文には、この二本の松が年ごとに繁り栄えた様子が書いてありましたが昭和2年、松くい虫のため二本とも同時に枯れてしまいました。

 そこで2代目の松もおおより是非にと町の人たちや光明寺の住職の肝いりで初代に劣らぬ若い松が選ばれました。

  「さてさていかように花岳寺まで送り届けるべきか」と相談した結果、海路より陸路で運ぶことになり、実直な安吉さんの牛車に頼むことにしました。

 浄められた若松は根元をしっかりこもで包み、牛車に静かに積み込まれました。安吉さんが丁寧に縛りつけ、その根っこにはお内儀「おようさん」の心づくしの弁当が置かれ、昭和3年3月の朝早く役場や町の人、息子の茂さんに送られ牛の手綱を手にしました。

今とは違い高取峠の道は登り降りか大変な上に、積んでいるものが物だけに大変な気遣いしながら注意深く進みます。すれちがう人や車に「奉納の松」と書かれた文字をみて気を使ってもらえる有難さを感じながら、きつい峠を無事若松の枝一本傷つけることもなく花岳寺に着き奉納しました。これというのも安吉さんの誠実な人柄なればこそ出来たことです。

帰って来た安吉さんを待っていたのは労をねぎらう言葉と、そしていしころ道の苦労話に花がさいたことでしょう。

(相生らじお「古こぼれ話」は見えるらじおを目指しています)

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