相生古こぼれ話 第108回乗り物覚書その三 人力車

相生古こぼれ話 
地名の謂われや建造物、人物などの相生市内の歴史をお伝えする番組です。
さて、今月はどのようなお話でしょうか
第108回 「乗り物覚書その三 人力車」

では番組をお聞きください

相生いにしえこぼれ話 第108回 「乗り物覚え書き その三 人力車」

 大正の頃、相生にも人力車という乗り物があった。

股引き法被姿の車夫が那波駅前で客待ちしていたのを覚えている。

 長老の話によると、人力車のたまり場というのが新町にあって、

豊さん、為さん、秀さん、善さんと言う風に呼ばれた方々が

梶棒を握っていたそうだ。

 新町は当時芸妓衆の置屋があった所であるから、

着飾った芸妓さんたちがお座敷通いに

人力車を利用していたであろうことも 容易に想像できる。

 人力車については、このような話が残っている。

 天満神社の神主さんである宮崎さんが

この町の役場に勤めておられたころのことである。

 県庁の役人がこの町に来られることになり、

宮崎さんがそのお迎えに那波駅まで行くことになった。

汽車から降りてきた役人を丁重に案内して駅舎を出ると、

そこに宮崎さんの友人である「さきやん」が車夫として客待ちしていた。

彼は、宮崎さんの神妙な顔を見ると、宮崎さんが大切な役割を果たしている途中だとは

全く気付かず、「よお!友よ!わりゃ、そげえな ええなりをして、

どこぞへ行っとったんかい」と声をかけてしまった。

 驚いたのは宮崎さんである。県の偉い役人を案内するということで、

いささか緊張気味でいる上に、大切な役目を仰せつかったという自負もあり、

少々ええカッコしていたところに、「よお!友よ!」といつもの調子でやられたわけである。

さすがにお偉い役人の手前、赤面してしまい、ドギマギさせられてしまったらしい。

 「あんなにびっくりさせられたことはなかった」と後でその友達に話したということである。

 こういう、裏表のない、遠慮のないところが相生人のいいところであり、

悪いところであったのかもしれない。

当時は友達とか仲間とかいう繋がりを何よりも大切にし、

何かにつけてお互いに助け合っていたものであった。

 

今回は江見錬太郎著「ふるさと想い出の記」より引用しました。

相生いにしえこぼれ話、小河大助 がお届けいたしました。

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