相生古こぼれ話 第116回「相生(おお)の松」

相生古こぼれ話 第116回「相生(おお)の松」

この番組は、地名の謂われや建造物、人物などの相生市内の歴史をお伝えする番組です。
さて、今月はどのようなお話でしょうか

ではお聞きください

相生いにしえこぼれ話 第116回 「相生(おお)の松」

「相生(おお)の松」を二つ紹介したい。

一つ目は、今では既にその姿を見ることはできないが、
「地蔵さんの松」と呼ばれた松の木である。
それは、大谷橋を渡ったところの山手側の切り立った断崖に
たくましく太い根を張らした老木であった。
崩れ落ちるかに見える崖上(がけうえ)の岩の割れ目に根を張り、
まるで岩盤が崩れ落ちるのを支えるように見えた。
その枝ぶりが、崖下にある地蔵さんの祠を覆う傘のように見えたので、
「地蔵さんの松」と呼んで親しみを寄せていたのであった。
かつて、渡来してきた鶴がこの松のてっぺんの大きな枝に巣を作り、
ヒナを育てている親鶴をよく見かけたものだったと、町の古老の話を聞いたことがあった。
子供心に高い松の木の枝を見上げては、さすがに鶴が巣ごもりするだけあって
立派な松の木だと誇らしく思ったものだった。
しかし、相生の町に鶴が渡来していたかどうか、その真実は知る由もなかったし、
学校で先生から教えられた記憶もない。

もう一つは、「地蔵さんの松」とは港を挟んで相対する(あいたいする)ように、
南の城山(じょやま)の麓にある稲荷さんの祠の横、ちょうど竜山公園の登山口に当たる辺りに、
「大石手植えの松」と呼ばれていた赤松の大樹である。
果たして本当に忠臣蔵の大石内蔵助が手植えしたものかどうか、
真偽のほどは明らかではないのだが、当時、子供だった私はそう信じていた。
実際、内蔵助の別邸が海岸沿いにあって、
その屋敷から移植したものであると物知り顔に言う人もあった。

相生音頭の中に、
『城山(じょやま)大石さあ、城山大石手植えの松は
昔なつかし 深みどり ソレ』
と歌詞に取り入れられている。
鶴にまつわる「地蔵さんの松」も、相生音頭にうたわれた「大石手植えの松」も、
いつの間にやら相次いで姿を消してしまった。
在りし日の姿を思い浮かべると何とも寂しい気がしてならない。

今回は江見錬太郎著「ふるさと想い出の記」より引用しました。

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