相生古こぼれ話第77回「海老名家と守り神」

火事で全焼してしまった大石良雄の別邸ですが、そこにはこんなお話があったのですね。お聞きください。

~sakki談~

相生村を知行地とした大石良雄は相生(おお)をしばしば訪れ、庄屋海老名邸で滞在していた。海老名家では西隅に十畳二間をしつらえ大石をもてなした。のちこれを大石別邸と呼ぶようになった。しかし、海老名家は明治27年11月17日火災により全焼し、今は庭園にあった池が残っているのみである。(相生ふるさと散歩より)

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相生古こぼれ話第77回「海老名家と守り神」

関東から矢野の庄(やののしょう)へ来た海老名家季(いえすえ)より4代目、頼保(よりやす)は相生浦に下座敷を構え、宝治2年2月、屋敷内に社を建立し、お家の安泰を祈りました。頼保はある春の日、双子島のお社に参拝し、新しく建てた屋敷神のお使いとして白狐と白蛇をお使わしに下さることをお願いしました。

 時は移り、海の幸・山の幸に恵まれた海老名家は隆盛を極め栄えました。しかし、栄枯盛衰世のならいの理(ことわり)にもある様に、近年になり、海の幸が減少し、明治新政府になると殿様的な生き方は通用しなくなりました。

双子島の弁財天から差し遣わされていた白狐と白蛇の子孫は、この様な屋敷のあり様を心配して、どうにかして昔のようなお屋敷にしてあげたいと話をしていました。

 ところが姿を見られてはいけないと神様から固く戒められていたにも関わらず、召使いにみつかり、主人の源蔵に告げられてしまいました。

これを聞いた源蔵は「二匹の蛇をみたら家が断絶する」との言い伝えがあることから「我が家もこれでおしまいか」と顔面蒼白となりました。

 白蛇たちは召使いに見られ、しかも源蔵に告げられたため、お家繁盛の祈願をかけるつもりだったのが、どうにもなくなり、明治27年霜月の夜が更けてから白狐と共に善後策を語り合いました。11月17日までは何事もなく過ぎましたが、夜半になって火事になりみるみるうちに屋敷内に広がりました。一大事と白狐は4代以来数多くなった白蛇一族に鳴いて知らせました。

 この時白蛇たちは池のほとりの古木の下の穴にいて、お座敷とともに運命を、と覚悟を決めていました。使いとしてはるばる双子島よりやってきたご先祖様の戒めを破って姿をみられたばかりに申し訳ないと、一緒に燃え尽きようと幼い白蛇にも言い聞かせ、トグロを巻いてしっかり包み込んでいました。しかし、白狐の悲痛な鳴き声が神殿の方から聞こえてきたので、池の水で少しでも火事が防げたらと願い、大谷川に急ぎました。

 白狐はこれで良し、と白蛇一族を見送り、自分は備前坂から双子島へ山道を急ぎました。その時、別れを惜しんで一声高く鳴き叫びました。後年、火事の際に狐が鳴いたとか、水のほとりの古木の根本からおびただしい白蛇が現れたと伝えられているのは、この様な悲しい神の使いの姿があったからです。

 土蔵一棟を残しただけの海老名家はこの出火を境に衰微をたどり、年を経ずして幕をとじました。

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