時代の流れによって馬車からエンジンで走る「乗合バス」に代わると、子供達の興味も馬車からバスに変わって来たようです。
お聞きください
~Sakki談~
いつの時代も悪ガキはいたのですね。エンジンの臭いは時代の進歩の象徴だったんですね。
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相生いにしえこぼれ話 第107回 「乗り物覚え書き その二 乗合バス」
大正の頃、この町にも乗合バスが出現するようになると、しばらくはそれまでみんなが利用していた馬車との競合になった。
エンジンに馴染めないという高齢の方たちの間では、馬車の方が安全だという考えが根強く、当座はあまり利用されていなかった。
しかし、我々悪ガキたちにとっては、乗合バスの方が魅力的だった。悪戯の対象が馬車からバスへと移っていったのである。バスが発車するとき、後部から青い色の排気ガスを吐き出すのであるが、それがなかなかいい匂いで鼻孔をくすぐるので、バスを追いかけてはそれを吸ったものである。今から思えばずいぶんと愚かなことをしたものだと思う。
この町の人々も、エンジンに慣れてくると、バスに乗ることで文化人になったような気がするのか、悠長な馬車の情緒から乗合バスのスピード感に魅力を覚えていくようになった。そして、馬車の存在はいつとはなしに影をひそめてしまうことになるのである。
乗合バスも馬車と同様で、当初の頃には決まった停留所があったという記憶がない。どこからでも手をあげさえすれば停まってくれたもので、現在のように停留所をもつようになったのは、乗客が増えるようになってからのことである。
今回は江見錬太郎著「ふるさと想い出の記」より引用しました。