那波の八幡神社の近くに通称「豆煎荒神」という神社があります。境内には国光稲荷・妙神社がありかつては遠く広島や岡山から信者が来たといいます。
今回はこの国光稲荷に祀られている、製塩の神とされている塩土老翁命(しおつちのおじのみこと)のお話です。どうぞお聞きください。
【引用:棚橋順子著「ふるさと相生つれづれ草】
【国光稲荷】
~sakki談~
拝殿には青黒い自然石があり、「塩竈社」「小千通敬書」の文が刻まれている。
豆煎荒神(まめいりこうじん)の名前の由来はこちらをお聞きください。
……………………………………………………………………………………….
相生いにしえこぼれ話第66回「那波(なば)の霧と塩竃(しおがま)の宮」
カンカン照りの続くある夏のことです。
あまりの暑さに耐えられなくなった竹太は、セミ時雨(しぐれ)の降る中、豆煎り荒神の苔むした70数段もある急な石段を一つ二つと登って行きました。
「すこし涼ましてな。下は暑うてかなわんさかい」と、傍にいた髭のお爺さんに声をかけると国光稲荷(くにみついなり)のお堂の縁側にごろりと横になりました。那波の浜から木の間を通って吹きあげるこの風は何とも言えず心地よく、ついウトウト寝てしまいました。
ふと、気が付くと竹太は雲に乗っているではありませんか。下をみると那波浦の家や船が小さく見えます。すると何処からともなく声が聞こえて「これ、竹太、わが話をよく覚えよ。お前がもし忘れたら、この雲からたちまち下に落ちてしまうぞ」と言うと厳かな声で話し始めました。
『ワレは神代の昔からこの那波浦に住みつき村人を見守っている塩土老翁命(しおつちのおじのみこと)というものである。大昔大きな亀に乗って遠い海のかなたからこの浦の「しらさぎのはな」へ着いたのだ。海の泥土(どろつち)で釜をつくり、海辺の藻を乾かし塩をつくり、赤穂の蓼(たで)を塩漬けにし、食べ物に味付けする方法などを教えて来た。また、乱暴者の退治もし、村を守ってきたのであるぞ。よくよくワレをあがめてまつれ』というと消え去りました。
目がさめた竹太はさっきの話をひげのお爺さんに話しますと「それはえらいこっちゃ。神さんが出てこられたんじゃ。お前が聞いたのはこのお稲荷さんに祀られている神様のはなしでなあ。那波の浦で朝霧や夕霧が立ち込めるのを、村の人は「塩竃(しおがま)の潮(しお)炊く煙か朝霧か」というようになったんじゃよ」というとキセルの火をポンと飛ばしてお堂の中に入っていきました。