大正時代、筆者である江見廉太郎氏の子供時代のお話である。
番組をお聞きください
相生いにしえこぼれ話 第 一〇一 回 「初風呂」
かつて、南町(みなみじょ)には大和湯という銭湯があった。
正月二日の明け方のこと、ぼんやりと鈍い外灯の光を浴びて、その大和湯のボイラー室から4,5人の子供たちが出てきた。
子供たちは手に手に穴の開いた真鍮の金ダライや底が破れたバケツを持って、それを棒きれで叩きながらカン高い大きな声を出して歩き始めた。
「風呂が沸いたぞー」
と声をそろえると、ガンガラガンと鳴り物を入れる。
「オトウもオカアも洗いに来い」
と一息入れてから、同じようにガンガラガンとやる。
「風呂が沸いた ガンガラガン」
「アネサもイモトも洗いに来い ガンガラガン」
こうやって同じことを繰り返しながら、大和湯の付近一帯を触れ歩くのである。
子供たちのこうした初風呂の触れ歩きに、睡い(ねむい)正月の早朝に夢破られることになった大人たちは、そこに正月二日を改めて感じ、初風呂を意識するというものであった。
事実、子供たちが触れ歩きを済ませ、ボイラー室に引き上げて来るころになると、手ぬぐいを肩にした着流し姿の大人たちが
ボツボツ風呂屋の暖簾をくぐるのが見かけられた。
子供たちは、「ご苦労じゃったのう。」と
三助のオッサンからねぎらいの声をかけてもらうと、ボイラー室から脱衣所に通ずる狭い所を抜けて、
初風呂のごちそうにあずかることが出来たのだった。それが触れまわりへの駄賃であった。
当時、各家庭にはそれぞれが自宅に風呂を持つということがなかったので、もっぱら銭湯を利用するのが普通であった。
南町(みなみじょ)にも大和湯と都湯の二つの銭湯があった。
大和湯は無くなったが、現在も都湯は営業を続けている。