相生古こぼれ話 第91回「アサリの頃」

 相生湾は昔貝類がよく獲れました。特にアサリは大人も子供も夢中になって獲っていたようです。海岸にたくさんの人がアサリをとる姿は、ひと昔前にはよくみられる春の風景でした。お聞きください。

~Sakki談~

 sakkiは子供の頃家族でよく潮干狩りにいきました。子供の私より連れていってくれた大人の方が夢中になっていたような気がします。食べきれない程獲り過ぎて、母に言われてご近所にもって行かされたものです。

 よくスーパーでアサリは見かけますが、掘った地元の物は味も濃くとても美味しいです。昔ほどは地元のアサリが手に入らなくなったのが残念です。

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相生いにしえこぼれ話 第91回 「アサリの頃」

 魚屋の店先に、ひと山いくらでアサリが盛られて売られている。かつてアサリは買ってくるものではなく獲ってくるものであった。

 昭和の初期、日の浦には極東ガラス工場があって、蛭子神社前からポンポン船がそこに通っており、そのポンポン船の作る波が打ち寄せる磯辺はどこでの形のよいアサリが獲れたものだった。三月下旬から四月中旬にかけては、大汐の午後など、アサリを獲る人々がそこここに見られ、相生湾一帯はアサリの宝庫と言ってよかった。

 大谷川が海に河口を開いている辺りから、地蔵さん前の磯際一帯、それに干潮ともなると遠くまで干潟になる薮谷の弁天浜、さらに向岬から赤地の浜に至る海岸、そこから足を伸ばして千尋の浜に至るまでの入江では、どこでも磯際に下りるとアサリや他の貝がふんだんに獲れた。

 東側では、湾の南の波止場から網浦にかける磯、ここは丁度かつての魚市場の跡で竜山公園の登り口の辺りだが、それから網の浦を通り抜けて、現在青木鉄工所のあるところから横山の海岸一帯もまたよく獲れた。足を伸ばして、野瀬の浜から鰯浜の入口にある笠松島までの海岸も潮干狩りの絶好の場所で、どちらも面白いほど獲れたものだった。

 こうした海岸には、アサリだけでなく、ツブ貝、オイ貝といった貝類の他に、ダメ貝と言っていた小粒の巻貝などがどこにでもいて、相生の人たちは季節の訪れとともにそうした海の幸との出会いを楽しんだものである。

 子供たちは、干潟や岩礁の下に棲息する小動物との戯れで、着物の裾はおろか草履まで濡らして、時間を忘れて自然と親しむことができた。遊び疲れて帰宅すると、決まったようにそこには怖い母親の顔が待っており、持ち帰った磯の獲物にチラリと目をやりながら、「あれまあ、この子は着物を濡らしてしもて。それに草履はべしゃべしゃやないか。そのまま上がったらあかへんでぇ。そんな遊ぶ暇があったら、弟たちを見てやるとか、家の手伝いをするとか、することがなんぼでもあるやろが。」と小言を言われた。

 しかし、夕食のお膳には必ずこの日の獲物が添えられたのであった。

今回は江見錬太郎著「ふるさと想い出の記」より引用しました。

(相生らじお「古こぼれ話」は見えるらじおを目指しています)

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